「白い肌」を売っていた私が
「美白」を疑ってみた
飯田光穂(WEBメディア編集者)
2019.09.01

1.「美白」


短かった夏ももうすぐおしまいですね。
「ゼッタイ焼かない」「紫外線と戦う」
例年と同様にそんな言葉が溢れていた春夏。
だけど私は、なぜここまで「美白」に価値が置かれているんだろう、ということを今回掘り下げたいと思います。

2.肌を白くするための商品・サービス


みなさまもご存知のように肌を白くする方法はたくさんありますが、大きく分けると
①これから出てくる肌の色を白くする方法
②今の肌にアプローチして白くする方法
の2つです。

①は日傘、UV加工の洋服、化粧品、塗る日焼け止め、飲む日焼け止め
②は光、レーザー、外用薬、内服薬 などなど。



私が働いていたクリニックが扱う「美白」のための商品・治療は
基礎化粧品、内服・外用・点滴、光、レーザー、エレクトロポレーションなどがありました。
美白の施術と商品を売っているのだから効果を示すマネキンでないといけない、という理由で、スタッフは日焼け禁止。
スタッフ総出で「白肌だけが美しい!」価値観をクリニック内に演出していました。懺悔。

やる気と予算次第でどこまででも白さを追求できますが、逆に言えばどれほど美白を追及しても、生きている限り肌の色素沈着から逃れることはできません。

黄色人種が多い日本において「白い肌」を良しとするビジネスは、穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるようなもの。
終わりがないという意味で非常に美味しいビジネスです。

そう気づくと美白コースを売っている自分や、ルールを守らず日焼けして出勤してきた同僚が詰められている状況が不可解に思えてきました。

何が私たちをそこまで「白くあること」に駆り立てているのか?
その正体を、歴史から考えてみたいと思います。

3.白い=美しい を作った歴史


「色の白いは七難隠す」なんて言うように、日本では肌が白いことを良しとする風潮が古来からあるようです。
ここで少し紐解いてみましょう。

3世紀末に大陸の西晋という国で書かれた「魏志倭人伝」には、当時の日本列島の文化が書き記されています。
そこには「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」
「身体に朱丹を塗っており、あたかも中国で用いる白粉のようである。」
と書かれており、当時の人々は白ではなく朱色で装っていたことが分かります。

個人レベルで大陸との交流は以前からありましたが、遣隋使が始まった飛鳥時代に、大陸から倭に白粉が伝わってきたと言われています。
大陸から伝わるものは当時の最先端トレンドで、宮廷の女性たちは白粉で化粧をするようになりました。高価だった白粉を使って白く化粧をする貴族の文化は、日焼けするような屋外の労働をしていない特権階級の象徴として人々の憧れでした。

唐の模倣だった唐風文化から、平安時代になって国風文化が醸成されていきます。
平安時代の源氏物語では肌の白さが美しさの表現として用いられ、日本最古の医学書「医心方」にも「美人になる方法」の章に肌を白くする方法が書かれていました。

その後、大きく美意識がアップデートしたのは明治時代。

鎖国をやめて世界に追い付こうとした明治政府が外見や生活様式の西洋化を推し進め、欧米風のスキンケア、メイク、ファッションを良しとするトレンドが生まれました。
唐風の模倣から始まって約1000年続いた「真っ白の白粉・眉墨&お歯黒・口紅」の白黒赤3色メイクが、一気に現代風のメイクに近づきます。
鉛を用いた白粉による「真っ白」が鉛中毒の危険性で製造禁止になり、洋風の化粧である「肉色(肌の色)」が人気になりました。
余談ですが「くっきり二重」が美人と感じられるようになったのもこの時期で、それまでは切れ長の目が人気だったそう。文明開化に伴い人々の美人観も西洋化したのですね。

1960~70年代に小麦肌ブームが来るも1990年代から化粧品メーカーが紫外線による皮膚老化促進を社会に訴え始め、メインストリームはふたたび白肌志向に戻り現代に至っています。

まとめると、社会がどんな肌色を良しとするかは


①大陸(先進社会)への憧れ
②貴族(上流階級)への憧れ
③西洋(白人)への憧れ


の3点が大きな影響を及ぼしてきたと言えるのではないでしょうか。
現在の「白肌」が良しとされる風潮も普遍的なものではなく、その時々の社会の流れ、為政者の意向によって出来上がったイメージであるということがわかりますね。

4.「白」の持つイメージ


そもそも、白という色自体には、どういうイメージを持っていますか?

「純白」は純粋無垢で汚れの無い印象がありますし、
医療従事者の「白衣」からは清潔や緊張も感じます。
職業分類で「ホワイトカラー」といわれる人々はブルーカラーと対比して、オフィスワークで賃金水準は高い傾向にあります。
「白紙に戻す」と言われたらリセットされる気がします。
相撲の「白星」は勝ち、黒星は負けですが、宇多田ヒカルの”COLORS”で「白い旗は諦めたときにだけかざすの」と歌われているように、「白旗」と言えば降参の合図でもあります。

ウェディングドレスの白は、実はそんなに長い歴史ではありません。



19世紀のイギリス王室エリザベス女王が挙式で白いドレスを着用するまではカラードレスが一般的でした。
エリザベスが当時は珍しかった恋愛結婚をしたことでロマンチックラブへの憧れに伴い、着用した白いドレスがブームになったそうです。

日本の婚礼で用いられる「白無垢」は室町時代から続いています。
女性の白無垢や角隠しは、女性の嫉妬心や怒りを象徴するツノをなくして穏やかに生まれ変わる、という意味があるとも言われています。
現代の白無垢は、嫁いだ先の家風に染まる、という解釈が一般的です。



無垢な女性だけを良しとする価値観がこれまで多くの女性の口をつぐませた結果、ここ数年 #MeToo が世界中で大きなムーブメントになっていることを思うと、無垢に価値を置くことで得をしてきたのは誰だろう、と私は考えてしまいます。

面白いことに、結婚=白のイメージは決して世界共通ではありません。
中国語で結婚は「红事(hóng shì)」と書くように、中国のおめでたい色は「紅=赤」で、逆に白はお葬式の色。
文化が違えば色の持つイメージも変わることを知ると、万人にとって「明白」な、疑う余地のないイメージなんてあるのかな、という気持ちになります。

最後に、「潔白」「シロ」は無罪を表し「腹黒」「クロに近いグレー」などの用法はその逆です。
安心を表す「ホワイトリスト」「ホワイト企業」と「ブラックリスト」「ブラック企業」の関係を考えると、善悪のイメージはほぼ白黒に対応しています。

白=清らかで良いもの
黒=良くないもの

私たちになんとなく刷り込まれ、使うことで再生産している「白」や「黒」という色が持つ意味やイメージも、「肌はシミひとつない白い状態が良いもの」という考え方に影響しているのかもしれません。

5.おわりに




階級や西洋文化を肯定する白肌志向の流行は、ときに国策として、ときに商品を売るために作られてきました。

無垢もいいけれど、積みかさねた経験を感じる肌も魅力的。
”なにが良いかは私が決める” を胸に、美意識の押し売りにはキッパリとNOを言っていく、という所信表明で、今回は筆をおくことにします。



参考文献
・山村博美 2016年「化粧の日本史 美意識の移りかわり」 吉川弘文館
・石田かおり 2009年「化粧と人間 規格化された身体からの脱出」 法政大学出版局

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Profile

20代は都内の美容皮膚科で看護師として勤務していましたが、30代で転職してWEBメディアの編集者をしています。
性別・容貌・年齢などへの社会のレッテルを剥がすために日々奮闘中。
同性パートナーと暮らしています。

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